https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2001/17/news021.html
2020年1月18日
征夷大将軍になり損ねた男たち【前編】:
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」に登場 古い権威を無視し、あえて将軍にならなかった織田信長のリーダー論
織田信長、豊臣秀吉、明智光秀……。武家の最高位「征夷大将軍」の座を逃した歴史人物に学ぶ組織に生きる現代人に役立つ教訓をお届けする。第1回目はあえて将軍の座に就かなかった織田信長を取り上げる。
[二木謙一,ITmedia]
撮り直しで巷(ちまた)の話題となった大河ドラマ「麒麟がくる」(長谷川博己主演)は、1月19日から放送開始だ。主人公・明智光秀は、「裏切り」の三文字が付きまとい大方のイメージは悪い。だが、足利将軍の権威が失墜した戦国時代は文字通り「下剋上」の時代であり、天下人を目指す人物が登場してもおかしくはなかった。武家の最高位といえば「征夷大将軍」であるが、光秀も本能寺の変の後に、実は将軍宣下を受けていたとする説もある。
これまで「花の乱」や「軍師 官兵衛」など14作品のNHK大河ドラマの時代考証を担当してきた著者による異色の人物日本史、近刊『征夷大将軍になり損ねた男たち――トップの座を逃した人物に学ぶ教訓の日本史』(二木謙一編著、ウェッジ刊)では、光秀をはじめ、人望、血統、派閥、不運、病魔、讒言(ざんげん)などの理由で、将軍になり損なった47人の人物をクローズアップ。どの事例も歴史ファンに限らず、組織の中に生き、閉塞感漂う時代に好機を見いだしたいビジネスパーソンにも通じることばかりだ。
この連載では大河ドラマに出演する人物の中から、まずあえて将軍の座に就かなかった織田信長について取り上げる。
(リンク先に続きあり)
★1のたった時間
2020/01/18(土) 04:13:46.46
前スレ
【征夷大将軍になり損ねた男たち】NHK大河ドラマ「麒麟がくる」に登場 古い権威を無視し、あえて将軍にならなかった織田信長
http://2chb.net/r/mnewsplus/1579288426/ 歌謡曲を愚弄してAKBエグザばっかり流してきたせいでこの体たらくなのに、結局懐メロ歌謡曲にすがるマスゴミ死ねよ
私はつねづね2ゲットにはその人間の品位がにじみ出るものだと
またこれは偏見だと思うが――確信している。
2ゲットというものは犯すこのできない確固としたひとつの世界なのだ。
しかしこれは良い2ゲットして育った人間にしかわからない。
良い本を読んで育ったり、良い音楽を聴いて育ったりするのと同じだ。
ひとつの良い2ゲットはもうひとつの良い2ゲットを生み、悪い2ゲットは
もうひとつの悪い2ゲットを産む。そういうものなのだ。
私は高級車を乗りまわしながら3ゲット4ゲットしかできない人間を
何人か知ってる。こうゆう人間は私をあまり信用しない。
高い車にはたしかにそれだけの価値があるのだろうが、それはただ単に
高い車だというだけでのことである。金さえ払えば誰だって買える。
しかし良い2ゲットにはそれなりの見識と経験と哲学が必要なのだ。
時間はかかるが金を出せばいいというものではない。
2ゲットとは何かという確固たるイメージなしには優れた
2ゲットを手に入れることは不可能なのだ
将軍、関白、太政大臣の地位、どれでも好きなのあげるって言われてて、選んでる途中で暗殺されちゃっただけで、
あえて将軍にならなかったはちょっと違う
織田信長の食生活や暮らしなどで
暗殺さなくても長生きはしてない
ストレスと暴飲暴食で短命
保守的な信長像が広まってきてるところで「新説」ですか?
>>6
信長の一族長生きだぞ
母ちゃんと娘が90くらいまで生きて息子も弟も余裕で70オーバー
自然死で早死にしたの父親くらいだぞ 人は記憶型と思考型に大別できる
中国・四国はまだだし
武田を潰して関東に足掛かりを作った
さ〜これからどうするかって処で本能寺だからな
大河ドラマは人形劇でやったらどうだ
まあそうなると今度は声優が問題起こしてまた頭抱えるんだろうけど
地縁・血縁で部下を雇うなか、能力主義で雇って評価したからな
仏罰恐れずに焼き討ちしたり
>>18
上杉と毛利は滅亡寸前
あとはみんな争って信長に平伏す状況で手つかずで信長と敵対してたの長曾我部だけ
かかって2年、早けりゃ1年って情勢だよ >>15
一族でも織田信長と同じ暮らししてないだろ
戦場に出向いて殺し合いの現場にいないだろ >>22
この当時の武家は仏罰なんて気にしてない
寺は要衝にあることが多いからしょっちゅう陣地にされて焼け落ちてるぞw 将軍は足利家以外無理だった。
織田信長も、3年ぐらい足利を御輿にしてただろ。アホが信長を討てって周りに手紙出しまくったので追い出したけど。
>>1
ま、初見だが、
光秀の配役は、雰囲気的に合格だろうな。
このキャスティングを行ったNHKは、まずオメデトウといいたい。
アトは、この対向者の信長のキャスティングだな。
もう演技者は決まってるのだが、最初に画面に出て来る第一印象だな。
果たして、信長の雰囲気を持ってるかどうかだ。 おもすろかった、opが昭和ぽかた。(^^)イイイミデ
>>34
征夷大将軍が源氏じゃなきゃならないなんて決まりはない 鎌倉時代は藤原氏の摂家将軍もいるし皇族の宮将軍もいるのに、源氏じゃなきゃダメだなんてのは
足利家が作った幻想
昼は田園風景の美しさ、夜は灯火の光と闇のコントラストの幽幻さ、いいないいな、(^^)
そもそも朝廷自身が信長に関白、太政大臣、征夷大将軍、どれか好きなの選んでちょ、と言っているわけで
信長は今統一戦で忙しいからちょっと待ってよ
それより嫡男の信忠を取り立ててね、とやり取りしてる最中の本能寺な訳で
光秀は信長を殺したこと以外とくにさして何かあるということではないが
もともと大河とかそんなんばっかりだし、いいのかな
よくよく考えりゃ征夷将軍の初代は坂上田村麻呂だしな
室町将軍は足利家以外駄目ってのが源氏以外駄目になってたんだね
>>43
信長の重臣筆頭だよ
比叡山焼き討ちとか越前一向一揆大量殺戮とか丹波丹後平定とかかなりのことやってるよ >>45
そうだとして、といっても世界史的に凄い何かとかではないし >>44
っていうか決まりがあったわけではなく、武家の棟梁家である河内源氏であることが重視された
徳川家康も河内源氏である新田氏庶流を称してるからな、詐称だけど >>46
そんなん言ったら日本史なんて日本に閉じた出来事が8割9割だろ
つまんねーやつ >>44
征夷将軍として初めて名前が出るのはは多治比縣守、征夷大将軍にしても初代は大伴弟麻呂
坂上田村麻呂は2代目の征夷大将軍 頼義・義家による清和源氏の奥州介入に対して朝廷の行政としての評価は私戦扱いだった気がする
その辺を正当化するためにも奥州藤原氏を滅ぼした後で、坂上将軍の貰った将軍位にこだわったんかもね。
頼義からの経緯のピリオドとして、そのせいでその後に征夷大将軍として固着化してしまったのは頼朝のせいかどうかは良く解らんけども
>>49
閉じていても外との関係はあるでしょう
幕末とか、でも幕末も国内の人間ばかりで
働きかけて来たイギリスの動きとかさっぱりやらんのよね
グローバルとか言うくせに外国の良い所だけではなく、悪い所は描きたくないものだから おっと!掘る方だったわこのひとは
あやうく騙されるとこだったw
余りにも史実と関係ない話がだらだら続くからすっかり興味をなくした
織田信長を視聴者が吐き気をもよおすほど滅ぼすべき巨悪として描けるかが作品が成功できる鍵になるだろうな
光秀ageとしては最終的に天下は取れずとも巨悪信長を倒したこと自体がすでにゴールの大功績だったみたいな感じで終わらすだろうし
>>51
頼朝に関してはその前に右近衛大将になったけど
右近衛大将じゃ京都に常駐する必要があるので、すぐに官位を返上して
在京せず鎌倉で東国統治してても問題ない官職として
征夷大将軍になった 信長と明智らが宗教勢力を虐殺したと言うが
当時の仏教団体も封建領主であり、
大支配者様で、台頭いちじるしい商工業者に対して宗教の強みとして町の場所を提供して
上がりの資金をサラキンも真っ青の高利貸しをして
教理の禁忌はやぶりまくりーの
あと殺害人数とか結構水増しして恐怖伝説を利用している気もするが
一向宗に至っては同じく封建領主に成って戦争しまくり―の、虐殺しまくりーの、掠奪しまくりーの
だから、滅ぼされてもまあ自業自得だろう
>>58
>在京せず鎌倉で東国統治してても問題ない官職として
成程、そういう理由は考えたこと無かった >>61
まあそのせいで鎌倉府なんてできちゃって室町時代にくっそ揉めるんだよなあ
応仁の乱とからんで >>1
日本人の血税を使って、
しばき隊メンバーなど在日朝鮮人を大量採用し、
朝鮮電通と結託して「韓流スター」の人気偽装をやりまくる超絶反日NHK。
何のメリットもない韓国から離れようとしている日本を邪魔するため、韓国内の政治話をさも重要ニュースであるかのように報じまくる超絶反日NHK
>NHK(特殊法人日本放送協会)の平均年収が1606万円(40.9歳平均・日本人平均の4倍)だということをみなさんはご存じですか。
【NHKのスクランブル化を実現させよう】
http://www.ystseo.net/ngnhk/
. >>82
京都に平家追討に行こうとした頼朝を関東平定が先だって鎌倉にとどめたのは御家人たちですよ
彼らは東国に朝廷等に指図されない東国武士だけの自治政府が欲しかっただけなんで >>61
征夷大将軍は、朝廷の朝議を経ずに軍政できる役職
元々の古代のの蝦夷討伐時にいちいち京に裁可を求める余裕なんてないから
でも頼朝が朝廷から任された役職で実は一番大きいのは
日本国惣追捕使。これで頼朝は全国の警察兼守護の命令権者になった 畿内の朝廷に任命された征夷大将軍の本来の役目は
東夷を征伐することだった
征夷大将軍・坂上田村麻呂によって畿内に連行された
蝦夷のアテルイとモレは畿内・河内国で処刑された
>>27
藤原ですらなく、神官の忌部氏だけどな。
忌部氏に平清盛の子孫が婿入りしたとか、苦しい言い訳をして、
無理やり平氏ということにした。 >>27
藤原氏ですらなく、神官の忌部氏だけどね。
忌部氏に平氏が婿入りしたんだと。嘘くさいけど。 >>37 >>44
もし北条氏が平氏でなく源氏の支流だったら、
新たな源氏長者となり、将軍になってたわけで、源氏でないからなれなかったというわけではない? 信長は越前征服したら真っ先に織田剣神社の保護を命じてんだよな
それと信長は神主の作法に詳しくて戦ばっかりしていた熱田神宮の宮司に神主の作法教えてあげたりしてんだよなw
>>73
そういう問題じゃない
元々北条家は坂東の一豪族に過ぎず軍事貴族だった頼朝なんかと比べて一段身分が低かった
だから無理をしないと将軍や大臣職にはなれなかった
そして北条家は無理をせずに1御家人という建前で事実上国政を掌握する道を選んだだけのこと
北条家は官位に全く拘らなかった
平氏とか源氏とかいう話とは全然違う >>22
敵国の神社仏閣を焼くのはむしろ神仏の力を信じてて敵国の力を弱めるため
特に武田信玄なんかはよくやってた 本能寺の変が無ければ、江戸という言葉すらあるか知らないが、江戸末期頃には白人・黒人との混血日本人が完成されてたかな。
運動神経やたら良いニュータイプ日本人..
日本列島が江戸期には鉄道敷かれてたろうか。
信長支配だと恩賞の土地ないから茶碗へ価値持たせてあげていた訳で。
朝鮮出兵して秀吉みたいにボコられて終わってたやろか。
家康が征夷大将軍にこだわったのが秀吉の関白に対抗する為だったんだよな。
当時は官位が物凄く重要で小牧長久手の時に官位を楯に和睦に応じなかった家康が秀吉が朝廷工作で官位を上げて和睦の為に大阪に家康を呼びつけた。
そっから源氏長者にこだわった家康の官位合戦に力を入れた
今日見てたら斎藤道三が親子二代で成り上がったっていう
最近の説を採ってたな
本能寺も四国説でいくかもな
あれも三好が絡むし
連続ドラマの一話の多くは物語の導入部分であるから、背景や配役の紹介的シーンと説明的なセリフで進行するのが
定番的扱いなんで・・・www その設定は映像色彩や演出においても他ならない・・・www
なので、展開を示すような下りは多くはない・・・www 視聴者としては今後の物語構成に期待を寄せつつ、
各視聴者独自の楽しみ方を考える余地を作っているともいえるのではないか・・・www
という意味かからは少しばかり制作サイドのフライング感はぬぐえなかった・・・www
松永久秀が斉藤道三のファンだから道三の家臣の光秀にも親切にするみたいな話だったな
>>73
>もし北条氏が平氏でなく源氏の支流だったら
頼朝は義家から続く素性のはっきりした由緒正しい源氏だが
北条氏の「平家」なんてどこまで確かなのかも分からん「自称」ナンチャッテ平家だよw
そんなのにまともな高位の官位なんて授けられるわけもない 関白って天皇の補佐、No.2だからね。
平信長
源家康
藤原秀吉
秀吉が官位に拘ったのは織田家を乗っ取るためだよ
信雄より上の官位になることで自然と信雄を家臣化することに成功した
家康が征夷大将軍選んだのも豊臣家の天下を乗っ取るため
秀頼が秀吉の後継者として関白になることは既定路線だったから家康は系統の違う征夷大将軍になり、さらにさっさとその地位を秀忠に譲って武家の棟梁は徳川家の世襲という形を作ってしまった
家康と子供の秀頼じゃ比較にならんから大名はみんな家康の方についてしまって決着しちゃった
>>86
そんなの関係ない
承久の乱の勝利で北条家は無双状態になった
朝廷は義時ちゃん希望したらどんな官位でもあげる気だったんだよ
軍事的に完敗したんだから朝廷に選択肢なんてない
ただ北条家は坂東でこれまで通りやって行く道を選び官位には全く興味を示さなかっただけだ >>86
平清盛などの伊勢平氏や千葉氏なんかであれば、氏素性のはっきり
した桓武平氏だけど、北条は系譜自体が曖昧。
大蛇伝説があるので、大神氏(三輪山の蛇神を信仰)じゃないかっ
て説もあるくらい。
将軍や大臣になるのは家柄的に無理なんで、将軍家家司筆頭の執権
職で我慢するしかなかった。 元々関白って朝廷の人間がなるもんだからね。
家康は源氏長者になるために朝廷に気に入られようと秀吉亡きあと関白の位を朝廷に返しちゃった
相模守や従四位下になってるのに官位に拘らなかったわけねーだろw
>>90
>朝廷は義時ちゃん希望したらどんな官位でもあげる気だったんだよ
いや
そんな話聞いたことないが(笑)
北条家に官位の打診をした記録とかあったっけ? >>91
秀吉なんかどん百姓から関白じゃんw
軍事的に完敗した朝廷に家格もへったくれもない
北条家はそんなもんになんの価値も見出さなかったんだよ
官位の昇進にこだわる実朝を義時がたしなめてたのを知らんのかよ
そもそも実朝自体が大臣になれるような家格じゃないぞ いや、普通に古い権威を重視する性格だから征夷大将軍になろうとしなかったし
足利義昭のことを一応立ててたんだろ
というか承久の乱がどんなもんか知らんやつ多過ぎ
あれは官軍が賊軍に壊滅的敗北を喫して朝廷が事実上滅んだ戦いだってことを少しは理解しなよ
太平洋戦争で負けた日本どころじゃないぞ
あの時ですら武装解除する日本軍がいた
承久の乱では朝廷の軍はリアルに全滅でなんもないんだぞ
そんな朝廷に家格だなんだとか選択肢あるわけないだろ
北条義時の言うことに誰がどんな拒否権行使できるんだよw
頼朝の下に関東武士が終結したのも頼朝が由緒正しき源氏の御曹司(実は中央政界の京では大した存在でもない下級貴族だが)
だったからな
担げる¨神輿¨だったんだよ
北条なんていくら実力あろうがそんな「貴種」にはなれんw
信長が官位にやたら拘ってたら光秀が勘違いせずに暗殺しなかったかもねぇ。
それが改革者の難しいところ。
秀吉も家康もそういうトラウマがあったかも?
>>73
源氏長者は久我氏だよ、頼朝嫡流が生存してようが北条が実は源氏だろうがそんな資格がない >>95
おいおい
官位においてとりあえずはまだ血統がものを言った鎌倉初期と
(実際源氏以降の鎌倉将軍は摂家将軍だの宮将軍だのの超高級貴族)
完全下克上の実力主義の戦国時代を一緒にすんなよw >>99
でも光秀も信長の推挙で日向守になってる。 >>98
だって伊豆に頼朝が島流されても担げる神輿だったから皆面倒みたんだよな >>101
だからそんなもんが全部パーになったのが承久の乱直後の状況だろ
秀吉の頃の朝廷の方がまだ権威はあるわ >>1
源氏しかなれないんじゃなかったっけ?
信長は平氏だし。
天皇家に代ろうとした疑惑も。。。 >>104
何が全部パーになったか分からんが元々は名もなきナンチャッテ源氏だの平氏だのが
鎌倉時代において高位の官位に叙爵された例なんてあったっけ? >>104
天皇家や公家や大寺院が持ってた荘園は、戦国時代まではまだ存在してた。南北朝動乱も、朝廷や公家にそれなりの経済力や実力があったから戦争が泥沼化した訳で。 >>107
そら義時が鎌倉幕府優位という形で現状維持したから公家も寺社も力盛り返しただけで
承久の乱の直後は朝廷廃止だってやろうと思えばできたんだぜ
朝廷側にはなんの力もなくなってんだから
しかも開戦のきっかけが後鳥羽の妾の領地に関して後鳥羽さん無茶苦茶やったことだから朝廷としたら正当性はゼロだわ軍事力は消滅するわで最悪
日本以外なら間違いなく滅んだケース
義時がそうしなかったから滅ばなかっただけ 鎌倉幕府を作った御家人たちは東国武士で
ぶっちゃけて中央政界とか朝廷とかと付き合う気が無かった
承久の乱後自前で訴訟を解決できなくなった朝廷が鎌倉に決済を持ち込むようになったが
ぶっちゃけ北条も、その他鎌倉幕府を支えた文官たちも迷惑極まりないと思ってた
鎌倉の人たちには京の朝廷なんか滅ぼすメリットが無い
鎌倉幕府って頼朝に従った(主に東国)武士の、武士による、武士のための政権であって
朝廷とか寺社とかは勝手にやってくれ、だったし
武士でも西国中心に頼朝に従わなかった武士は身内じゃない扱いしてた
>>108
そんなあんたの気分的な話なんて聞いてないから
>元々は名もなきナンチャッテ源氏だの平氏だのが
鎌倉時代において高位の官位に叙爵された例なんてあったっけ?
これに答えてくれよ >>109
勝手に喧嘩ぶっかけてきて勝手に壊滅して武家と系統が違う律令の裁判してくれだから、当時の御家人たちからしたら迷惑の極みだろうなあw 元は東国武士たちの利害調整という意味あいが強かった鎌倉幕府は
東国の揉め事なら御家人なんかだいたい鎌倉にいるんだから鎌倉で裁判やりゃあいいという考えで
西国の揉め事だろうが現地でやるという発想が無く
六波羅や鎮西探題に持ち込まれたトラブルも全部鎌倉送りにして裁判してたんでただでさえ終盤はほぼパンク状態という
近衛大将って武官の最高位で征夷大将軍よりはかなり格上
ただ名前の通り天皇の親衛隊長だから京にいなければならない
だから頼朝はさっさと辞任して鎌倉へ戻ってしまった
思い付きでカキコしたんだが調べたら信長がこの役職に就いたことで義昭より格上になったんだな
小説やドラマで信長が「上様」呼ばわりだったのに違和感があったが納得
>>115
信長は3年もやってたんだな
さっさと辞めたのは右大臣職か 右大将は頼朝由来だね
プラス義昭が中将だったからどちらが格上かあからさま
そこで信長の天下人としての称号に選ばれたんだろう
>>36
まあ源氏以外の将軍も居るけど専門家でさえ歴史本でそういう風に書いてる人結構居るんだよね >>114
幕府もてるのがそれだね
なんか征夷大将軍就任が幕府開く条件って勘違いしてる人多いけど まあ幕府って言葉が頻繁に用いるようになったのは幕末だからな
それまで幕府なんて言葉はほとんど用いられたことがない
頼朝は右幕下と呼ばれたがこれは右大将になったからだからね
幕末に幕府って言葉が用いられるようになって頼朝が征夷大将軍に任じられた1192年を鎌倉幕府成立の年としたのは二重三重に滑稽
>>79
>>1のように信長は宗教含む既成概念をことごとく破壊する進歩的支配者という虚像がすり込まれてるせいでそう思うんだろうけど
近年の新説を待つまでも無く信長は別段リベラルじゃないのでそういう左翼的パラダイスになってた可能性はないよ
豊臣から徳川にかけて鎖国へ傾いてゆくのは封建社会への脅威だけが理由じゃないんで 【伊藤英明】僕のヤバイ性癖【視聴率7.7%】
てか、将門(平氏)→頼朝(源氏)→北条(平氏)→足利(源氏)→後北条(平氏)ここまで
それ以降の織田が平氏とか徳川が源氏って自称くさい…
>>128
くさいんじゃなくて捏造なの割と有名だと思ってた
どっちもはじめは藤原を詐称してた田舎大名にありがち そもそも平氏の半分は源氏だし
源氏も3割くらいは平氏の超内ゲバなんやで
>>65
地頭任命権者のこと?
鎌倉開幕が1185年になったときいた >>132
守護もやね
義経追討などなんかある度にいちいち関東から出ばるのは迷惑だから諸国でもなんとかできるようにしてって話
1185年に朝廷に打診し、法皇からいいよって返事
1188年奥州征討
1190年義経追討目的だったけどずっと権利持っててもいいよねって相談する
右近衛大将になるけどすぐ辞めて鎌倉帰る
1191年正式に権利を認められる
鎌倉幕府成立は1192年は論外だが1185年もたいがいだかと思ってる >>98
実は頼朝は暗殺されたという説が。
晩年平清盛化して約束がちゃうやんけと神輿の価値がなくなったというわけで。 >>13
声優は簡単にさし替え出来てしまうので悪の組織が仕込んで爆破するのに不向き >>18
ただ大名としての石高は徳川幕府の天領より多かった
最盛期は800万石だからな 頼朝は関東武士の権利を安堵するために担がれたので帝と縁戚関係を深めて清盛に取って代わるのはむしろ支持層の期待に沿う
勇ましい系の戦国武将とか幕末の武士は飽きた。
田沼意次とか大黒屋光太夫とか伊能忠敬とか間宮林蔵あたりもっとスポットあててやってほしいわ。
上杉鷹山は倹約と成長戦略による財政再建なので絶対にやらないだろう
平塚らいてうはフェミで反戦なのでこれもまた絶対にやらない
お上がやりたいのは忠君愛国物語で視聴者が見たいのはドロドロの派閥構想や愛憎劇だから、結局は光秀も戦いと抗争に明け暮れながら実は忠義の臣であった的な流れだろう
織田家は源氏じゃないから征夷大将軍にはなれなかったはず。
秀吉もそうで、むりやり関白という地位を授けた。
バカじゃねーの?5ちゃん記者
義昭は弁護のしようもない金の亡者のバカで
信長が義昭に送ったという要望書も
各地の大名に勝手に物を送って何倍もの返礼を要求しないで!恥ずかしいから!とか
ちゃんと将軍らしく政治やってよ!とかそんなのが並んでる
信長が美濃にいる時に京に三好が強襲してきて間一髪になったことがあって
それを防ぐために信長が京に将軍逃げ込み用の城を作ったのに
その城の兵糧を籠城戦ができないレベルで売っぱらっちゃったとかアホみたいな話が山盛りで
近畿の諸勢力は信長ってよくあんな将軍で我慢してるな、さすが田舎者は律儀だわ
俺らならとっくに別の足利の血を引いてる奴に将軍すげ替えるって評判だった
>>50
それは、実態のある征夷大将軍であり、
武家が台頭して以来、朝廷が与える位というのは、形式的なものになっていたはず。
守護職自体、○○守とか言っても実際にそこに赴任していたわけではない。
権威付けのための形式的な官位。
その最初にして最たるものが武家の棟梁、源頼朝が授かった征夷大将軍という官位のはず。
今の歴史家はそこんとこ、どう解釈してんのか知らないけどさ。
NHKの時代考証役とかまともな歴史家に列せられるわけ? 信長が平氏を名乗りだしたのが義昭追放直後なので
源氏じゃないと征夷大将軍になれないから将軍にならなかったというよりは
当時すでにあった、平清盛の一族(平氏)→頼朝の家(源氏)→北条(平氏)→足利(源氏)
と源平が交代で政権取ってるから次は平氏、という考えに基づいてだと思うぞ
それと頼朝の子孫が絶えた後源氏長者となった足利ならともかく
自分が足利を追放しておいて将軍ってのもなあってのもあっただろう
源氏じゃなきゃ征夷大将軍になれないとかいうバカはいい加減消えてくれんかね
いつになったらこういう馬鹿がいなくなるんだろう
つうかこんな馬鹿なこと言い出したの誰?
源氏というより足利の流れをくまないと(室町幕府の)将軍職を継ぐ正当性がないという意味だと思う
当時の感覚として別の家が新しく幕府を開くという発想は難しかったろう
あと江戸時代からの刷り込みで征夷大将軍じゃないと武士の棟梁になれないみたいに考えてる人がいるが
頼朝がわざわざもっと官位が高い近衛大将を捨てて征夷大将軍になったのは
征夷大将軍なら京から離れた所で、京と距離を取りたい東国武士だけを相手に政治をする大義名分として都合が良かったから
京やその周辺で朝廷を直接意識しつつ政治をやるには官位が低くてそんなに適したものでもないのよ
源平交代思想も特に根拠があるんじゃなくて、ただ単に平氏と源氏が何回か交代したらいつの間にかそうなった感じだし
頼朝は最低でも義仲と同格を欲しがっただけで最初は旭将軍を希望した
将軍職が絶対的になったのは室町からじゃないのか
>>151
制度化された世界じゃないってのを理解してない人が多い
なんかの官位についたから武家の棟梁なのではなくて実態として武家の棟梁だからふさわしい官位を与えるだけなんだよ
ここを理解してない人が大半
頼朝は征夷大将軍になったから武家の棟梁になったんじゃない
まず頼朝が武家の棟梁だという実態が先行していてそれに対して右大将だの征夷大将軍だのという官位が与えられただけ
鎌倉幕府なんて途中から武家の棟梁は得宗になった
官位何て相模守やら前相模守でしかない >>137
柴田以下の幹部に任せた領地があるだろ、蔵入地で計算しなきゃ
同じ計算でいきゃ徳川は550万石(だっけ?)になる やっぱ最初の頼朝が凄いよな。次に尊氏が来た辺りで何となく流れ出来ちゃったなw
源氏征夷大将軍じゃないパターンも見てみたかったな。
>>133
「幕府」の用語自体が明治以降のものだし、歴史は常に解釈でしかないんだろうが、
ペーパテスト的な暗記年号はともかく、何らかの区切りがないと俺みたいな門外漢には大づかみな把握もできないことになる
というわけで、今のところいい箱作ろう鎌倉幕府で覚えておいている
議論はどんどんやってほしいし、通説が変わればそれに従って覚え直すだけ >>157
清盛は太政大臣だし、秀吉は関白でしょ
大久保利通は内務卿で、伊藤博文以降は内閣総理大臣
とはいえ、武家の棟梁ってのに、征夷大将軍がなんとなく合ってたってことなのかなぁ >>159
いや一代限りじゃなくて、それで続くパターンが見て見たかったって話 当時の朝廷に「征夷大将軍は源氏」って意識があったとしても天下統一を成し遂げるほどの軍事力と経済力を持った信長に「よこせ」って迫られたら断れるもんか?
それこそ直近がどうであれ源氏以外が征夷大将軍を務めた実例もちゃんとあるんだし
まあそこで断られてもそれならそれで源氏につながる家系図でっち上げて突き付けてやれば済む話なんだろうが
>>161
そもそも源氏を名乗ってない信長に三職推任があった時点で征夷大将軍は源氏じゃなきゃならんとかなんの根拠もないことを理解しないと行けない >>4
けど、地位を得て幕府を宣言した方が錦の御旗でもって天下統一がはかどっただろうし、
将軍を裏切れば逆賊だから裏切りの防止になるし、義昭の影響力がガタ落ちになるだろうし、
東北や九州の大名が帰順しやすくなると思う。
信長もそれくらいのことは考えたはず。
信長は「武力で全大名を屈服させた後に幕府を開く」と言ってたけど、すでに天下人になってる。
疑いの目で見れば、「天皇に禅譲を求めるため」とも受け取れる >>160
一応、清盛と秀吉は世襲してるな
3代目に続かなかったが
征夷大将軍以外が続かなかったのが、歴史の偶然か何らかの理由があるのかは興味深い >>164
おそらく将軍でも天皇でもなく新しい位を作って自分が就任したはず
理由はそうでないと大友の掲げてる天主に対抗できないので九州制圧が本願寺以上に難航しそうだから >>148
まるで頼朝とその子孫は絶えるまで源氏長者であったかのようだけど全然関係ないよ
清和源氏には基本的に縁のない役職だし縁ができるのは足利義満になってから、それにしても久我氏と交代でって感じだし基本村上源氏のための役職
武家が独占するのは徳川の時代になってから 源氏長者が本来久我家だって知らんやつが大勢いるんだよな
朝廷が徹底的に衰微したから義満や徳川家に奪われただけ
>>56
真偽不確定の説を微妙にこすってた。
光秀は実は医学に詳しかった説。
信長の嫁(道三の娘)は光秀のいとこに当たるという説。
光秀はいち早く鉄砲の操作術を学んでいた(それで朝倉に召抱えられた)説。
あとは創作ファンタジーだけど 光秀は謀略に秀でていたので信長のお気に入りだったというルイスフロイスの著述に基いたら風林火山みたいに面白くなったのにな
なんか先が見えてきた
頼朝が征夷大将軍になって朝廷のお墨付きをもらいつつ朝廷から半ば独立してじ幕府という武家の自治政府を作ったように
家康は征夷大将軍になることによって朝廷=関白世襲家豊臣家との主従関係を脱して自主独立したんだな
後は力関係で全国の大名が徳川か豊臣かどちらかにつくかは家康には読めてた
>>167
九州って本能寺の前くらいには大友も島津も龍造寺も信長に恭順の意を示してたんじゃね?
北条みたいに面従腹背かもしれないけど、大友と島津は信長仲介で素直に和睦してるから、少なくとも表立って信長に逆らう気はなさそう。 信長なんか天皇の権威すら認めてないやないか
本能寺が起きなかったら、暦も朝廷の暦から終わり節の暦に替えられてたんやろ
時の支配者=日本の支配者
信長は自分自身が神になって日本を一神教にしようとした
そういう人間やからな
他国に攻め入るくらいの戦国武将は
ほとんど神なんて信じてなかったと思うわ
戦の神は信じたかもしれんけどそれもパフォーマンスだろな
信長は京の陰陽師達のレベルの低下に驚いて自分の領地に逃げちゃってた安倍晴明の子孫を呼び返すのに尽力したりしてる
そういや家康の松平のリアルな先祖は京から三河に井戸掘りにやってきた技術者で陰陽師の可能性が高いらしい
>>176
アホか
信長が京暦にダメ出ししたのは日食をきちんと予測できなかったからだ
三島暦は予測できていたからそっちにしろと言ったんだよ
なぜ日食を予測できないのはまずいかというと日食や月食の時は天皇は籠らなきゃならなかったからだ
予測を間違えたら籠もれないから大問題だ
こういう信長が天皇を蔑ろにしてるというのか?
めちゃくちゃ作法にこだわってるじゃねーかよw
前にも書いたけど信長は神主の作法に詳しくて熱田神宮の宮司に手ほどきするレベルだぞ >>178
んなことないよ。生か死か、勝つか負けるかの暮らしだからな。昔の人だし。むしろ縁起はかなり担ぐ。
現代人だって勝負師と言われる人間は大なり小なりそういうの気にするよ 本能寺の変の真犯人は誰か?
まず抑えておきたい点は当時の信長は家督を既に信忠に譲っているという事だ。
そして本能寺の変の同時期に信忠は打たれ安土城の天主閣は燃えている。
しかしそっちの方の犯人は有耶無耶にされている。つまり真犯人はこっちの方で光秀は主君殺しの汚名だけを着させて処分された可能性が高い。
後北条も三島歴と京歴どっちが正しいのって話になって三島歴の方が正しいって結論してたはず
>>181
保守的に大事にしてたというより絶対的価値観を持ってなかったて感じじゃないかな
合理性が必要な暦は合理的なものを
宗教的な行為はあくまで宗教的に
進歩的破壊者というのは虚像だがかといって旧守的なわけでもない