0001アンドロメダ ★
2019/11/15(金) 16:27:18.88ID:6CMMpXdN9「99%無理」と無謀な挑戦であることは本人も十分に理解しているが、その難しい夢に楽しみながら挑戦することに意味がある。新庄氏は現役時代から野球に対しては真剣に取り組んでいたので、現役復帰に向けた今回の挑戦も本気であると思われる。
「もう一回、プロ野球選手になる」と言う新庄氏が目指す舞台がメジャーなのか、日本のプロ野球なのか、それとも独立リーグなのかは分からないが、参考までにメジャーでのカムバック例をみてみよう。
ボルチモア・オリオールズを3度のワールドシリーズ優勝に導き、サイ・ヤング賞を3度も受賞。通算268勝(152敗)を記録した殿堂入りのサウスポー、ジム・パーマーが45歳で現役復帰に挑戦した例がある。
38歳だった1984年のシーズン途中に解雇されたパーマーは現役を引退。引退後はテレビ解説者として活躍。ABC局のエース解説者として、オールスターゲームやワールドシリーズの解説も担当してきた。
45歳となった1991年には現役復帰を目指してオリオールズのスプリング・トレーニングに招待選手として参加したが、オープン戦の初登板試合で2回を投げ、5安打、2失点を喫して、復帰を諦めた。
パーマーができなかったメジャー復帰を成功させたのが、1963年に21勝(7敗)を上げ、翌64年にはリーグ最多の37試合に先発登板したジム・ボウデン。
実はボウデンはメジャーリーガーとしてよりもベストセラー作家としての方が有名。
ニューヨーク公立図書館が1996年に発表した「20世紀を代表する本」やタイム誌の「最高のノンフィクション100冊」に選ばれた名作「ボール・フォー」を現役引退直後の1970年に発表。この本は日記の形でメジャーリーグの内側を描いている。それまでは公にすることがタブー視されていたニューヨーク・ヤンキース時代のチームメートだったミッキー・マントルが大酒飲みだったことまで暴露して物議を醸した。
31歳だった1970年に現役を引退したボウデンが現役復帰を試みたのが1975年のこと。この年は1Aで5試合に先発して、4勝1敗、防御率2.20という立派な成績を残している。翌76年は1年間休んだ後、77年には1Aで5勝1敗の好成績が評価されて2Aに昇格したが、そこでは0勝6敗、防御率5.26と散々だった。
メジャー復帰の夢を諦めきれなかったボウデンは、78年に2Aで11勝9敗、防御率2.82と立ち直り、その年9月に39歳で待望のメジャー復帰。5試合に先発して、8年ぶりの白星も手にした。
ボウデンがメジャーに復帰できたのは、身体的負担が少ないナックルボーラーだったことが大きな要因として挙げられる。
1990年のワールドシリーズでMVPに選ばれたホゼ・リホは、95年に右肘のケガで引退。何度か復帰を試みたが、その度に失敗。それでも諦めることを知らないリホは、2001年に6年ぶりにダイヤモンドへ帰ってきた。1A、2A、3Aとマイナーの階段を1段ずつ上り、8月にはリリーバーとしてメジャーに復帰。その年は1勝も上げられなかったが、37歳だった翌02年には5勝しており、新庄氏とも対戦している。(5打数1安打)
大谷の前に「二刀流」としてメジャーで活躍したリック・アンキールは2013年シーズンを最後に現役を引退。2018年夏に現役復帰を目指してトレーニングを始めたが、今年7月に復帰の道を断念した。
現役では46歳のバートロ・コロンがメジャー復帰を目指して、トレーニングを積んでいる。
2018年はテキサス・レンジャーズで28試合に登板。そのオフにフリーエージェントとなったが、どこのチームからも声が掛からずに19年は『浪人』。本人に引退したつもりはなく、来シーズンのメジャー復帰を狙ってトレーニングに励んでいる。
打者の球界復帰は投手以上に難しいが、年齢、ブランク共に新庄氏と同じような条件で復帰に挑戦した選手がいる。
メジャーリーグで歴代4人しか達成していない「通算3000安打&500本塁打」を記録したラファエル・パルメイロだ。
2005年に引退したパルメイロは、10年後の2015年に独立リーグで選手として復帰。これは息子と同じチームでプレーするための「1試合限定プロモーション」だったが、2018年にはメジャー復帰をぶち上げて本格的に復帰。18年も独立リーグで31試合にプレーして、打率.301、6本塁打、22打点を記録。53歳としては悪い成績ではなかったが、19年シーズン序盤に解雇されて挑戦は失敗に終わった。
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https://news.yahoo.co.jp/byline/kiyoshimio/20191115-00150910/