「オッペケペ節」川上音二郎の写真発見 長崎に縁、親交物語る…貞奴と連名の手紙も - 長崎新聞
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2025/02/12 [11:00] 公開
親戚の二枝家の人々と共に撮った川上音二郎(後列左から4人目)と妻で「日本最初の女優」として知られる貞奴(同3人目)の写真。1901年撮影=長崎市戸石町、二枝美術工芸館
痛烈な風刺の「オッペケペ節」で知られ、明治時代に演劇人として活躍した川上音二郎(1864~1911年)の写真や手紙が、長崎市でべっ甲店を営んでいた二枝家に残されていることが、姫野順一長崎外国語大特任教授の調査で分かった。音二郎と二枝家は親戚の間柄で、親交があったとみられる。音二郎と長崎の縁を物語る貴重な資料として注目される。
写真や手紙を所蔵しているのは、長崎市戸石町で「二枝美術工芸館」を営む二枝永一郎さん(68)。永一郎さんの祖父新三郎は、兄の貞治郎と共に福岡・博多から長崎に移り1883(明治16)年、長崎市東濱町(現浜町)で「二枝鼈甲(べっこう)美術店」を創業した。
音二郎は博多生まれ。母ヒデは博多の福岡藩御用商人、二枝新平(5代)の長女。ヒデの兄弟新平(6代)の次男が貞治郎、三男が新三郎で、音二郎とはいとこの間柄だった。
永一郎さんが所蔵する写真帳の1冊には84枚が収められており、このうち16枚が音二郎の関連。音二郎の妻で「日本最初の女優」とされる貞奴(1871~1946年)のほか、母ヒデ、弟磯次郎の写真もある。
このうち貞治郎、新三郎ら二枝家の人々と音二郎夫妻が一緒に写った集合写真は1901(明治34)年3月の撮影。音二郎夫妻が長崎を訪れた際に撮ったとみられる。
音二郎の手紙は貞奴との連名で、1902(明治35)年5月の長崎局の消印がある。同年4月18日、欧州巡業中にイタリア・フィレンツェから貞治郎宛てに送った。川上一座の公演を観覧したロシア皇帝(ニコライ2世)からダイヤモンドをあしらった金時計を賜ったと報告。「生涯の大名誉のみならず、子孫末代にわたる宝であり、親戚の間柄をもってお知らせします」と感激をつづっている。
(略)
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