かくしん的☆めたもるふぉ〜ぜっ /田中あいみ
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最近でこそ再婚や再々婚、さらには再々々婚……といった具合に、人生のうちに何度も結婚する人も珍しくなくなったが、かつての日本では、何度も結婚できるチャンスがあったわけではなく、
たとえ第二、第三の人生を共に過ごしたいと思う伴侶が見つかったとしても、世間体などを考えて、内縁関係にとどめておくケースも珍しくはなかった。
しかし、そうした時代においても日本の一部地域では、なぜか「本当の結婚」がすべて事実上の「再婚」になってしまうという、なんとも不思議な習慣が定着していたという。
「要は、本当に結婚する前に、わざわざ関係のない相手と一度結婚させるっていう儀式だね。そういうのが昔はあったんだよ、あのあたりじゃ」
かつて西日本のとある地域に存在したという、不可思議な婚礼の習慣についてそう語りはじめたのは、現在、三重県南部に移り住んで余生を過ごしている同地域の出身者・奥脇芳之助さん(仮名・78)。
奥脇さんの話によると、この地域では、若い男女が結婚しようと決めると、その相手ではなく、まずは別の誰かと結婚し、半年生活を共にした上でなければ
「本命」の相手と結婚できないという、なんとも不思議な風習が存在していたのだという。
「まぁ普通、好いた男と女が一緒になりたいと思ったら、すぐにでも式を挙げたいんだろうけどもね、あのあたりじゃそれは無理なのよ。別の相手と一緒になって、半年耐えなくちゃいけない。
大抵その相手っていうのは、後家だったりヤモメ男だったりして、再婚の見込みが薄い人間が選ばれるんだけども、新郎新婦からすりゃあタマったもんじゃないよな」
好きになった相手との生活を夢見ている男女が、理不尽にも一時的とはいえその仲を裂かれ、別の相手との結婚生活を強要される……無論、そうした「生活」の中には、「夫婦としての営み」も含まれていることから、
それが原因で、あらぬ方へと迷走してしまう男女が後を絶たないというのだ。
「まず、情が移っちまうっていうのはあるよな。なにせ普通の夫婦として半年も一緒に過ごすんだから。
それで結局は、新婚同士で結ばれるはずだったのに、半年過ぎたら別の相手の再婚相手として納まっちゃうなんてこともザラにあるわけよ。
まあ、再婚相手にならなくてさ、奉公が明けて本来の組み合わせで結ばれてもね、普通の新婚さんみたいな時間は過ごしにくいだろうし、上手くいくのは難しいんじゃないかな」
こうした習慣があるせいなのか、当地においては離婚経験者が多く、また、同時にこの習慣をキッカケに再婚を経験する人々が目立つのだという。
メリットが大きいのか、はたまたデメリットの方が大きいのか。いずれにせよ、なんともわけのわからぬ奇妙な習慣である。
最近では“子供たちの性”に関する扱いが、昔と比べて格段に厳格なものとなったことから、以前は当たり前のように、
全国の学校で行われていた“あけっぴろげ”な身体検査も昔話となり、診断にあたる医師を除けば、異性が子供たちの裸体に直接触れるケースは激減しているが、
かつては健康診断も男女の境がなくベルトコンベアー式で行われたり、
上半身裸の屋外での乾布摩擦や、体育の授業の際の着替えが、男女同じタイミングで行われていたりと、
当世の事情からすれば、にわかに信じ難い行為が平然と行われていたものであった。
しかも、さらに時を遡れば、さらに信じ難い行為までもが、ごくごく当たり前のことととして行われていたのだという。
「今はもうこういう時代になったから、おかしいとみなさん思うでしょうけれども、当時はそれが普通なことでしてね。みんな当たり前だと思っていたんですよ」
かつて、北関東のとある地域で行われていたという珍妙な風習についてそう証言するのは、現在、東京に住む親族のもとに身を寄せているという元農業・山村義三さん(仮名・78)。
山村さんの話によると、彼が生まれ育ったというその地域においては、子供たちの“性”にまつわる、奇妙な風習が大々的に行われていたという。
「簡単に言うと、子供たちの成長をね、確認していくというものなんです。
年頃になると、胸が膨らんできたり、毛が生えてきたりするでしょう?それをね、地域の大人たちが、みんなで観察する、と。そういう習慣です」
たしかに、現在よりも栄養事情が良くなかった時代には、子供が無事に成長し、成人を迎えられるかどうかは、どこの家庭の親にとっても、ハラハラさせられる問題だったのかもしれない。
そうした意味で言えば、彼らの不安を払拭し、
「成長の遅い子供には、促進することを目的に始められた」(山村さん)
というこの風習も、ある意味、合点のいくものであるとも言えなくもないが、そうは言っても、その対象は何かと難しい年頃の子供たち。
当然のごとく、この風習が心の傷を負わせることもあったという。
「なにせね、大人たちはもちろんのことね、隣近所の子供たちも一斉にスッポンポンになって調べられるわけだから、みんなに裸を見られるでしょう?
まだ5つや6つくらいの子ならばまだしも、上は15歳くらいの子もいるわけですからね、それはもう、恥ずかしかったと思いますよ」
こうした思春期に味わう羞恥体験が原因となっているのか、山村さんの話によると、当地の人々は、いわゆる「晩生」になりやすく、その初婚年齢は周囲の地域に比べて格段に高い傾向にあったという。
「まあ、いくら恥ずかしいと言ってもね、大人たちにとっては、子供がちゃんと育ってくれているかどうかっていうのはとても気になるところでね。
実際、発育が悪い子をみつけると、みんなで精のつくような食べ物を与えたりしていましたからね、あながちおかしなだけの習慣だとは言えない気もするんですよ」
無論、この風習は、時代が下るにつれて急速に衰退していき、今ではその“経験者”すら、数えるほどになっているとは言うが、実際に当時の子供たちが味わった気持ちを思うと、それが大人たちの善意によるものであるがゆえに、かえって複雑な心境にさせられるところだ。
いわゆる「マザコン」とは別に、男性の中には、母性の象徴でもある女性の胸に対して格別の思い入れを持つ人も少なくないが、そうしたある種の“胸フェチ”男性の欲望を満たすためとしか思えない奇習が、かつてこの国には存在していたという。
「そうでしょうね、たしかによその地域の人からすれば、おかしな風習に思われるかもわかりません。でも、このあたりじゃ、昔は当たり前のこととして、行われていたものなのですよ」
四国地方のとある海辺の地域で今なお暮らす川島実さん(仮名・82)は、自身が生まれ育ったこの地方特有の習慣について、次のように証言する。
「女の人に子どもができるでしょう? そうすると、お乳が出るようになるでしょう。それをね、村の男衆がみんな、わざわざ出向いていって、飲むんです」
ことさら指摘するまでもなく、女性の母乳というものは、その赤子のためにあるものだ。
それを男性に、しかも家族ではない、近隣の人々が飲むというのは、なんとも奇妙な話。
しかも、その乳房に赤子のように口をつけて吸うようにして飲むというから驚くばかりだ。
「そりゃあ、そうですよ。もちろん、みんな口をつけて吸いますよ。みんなで代わる代わるその家を訪ねていっちゃ、そのうちの嫁さんのお乳を吸う。
今にして思えば、たしかにおかしな風習ですよねえ(苦笑)」
川島さんの話によると、その行為は女性の母乳が出なくなるまで続けられ、結果、どこの家の女性たちも、子どもができると村全体の男性たちから母乳を吸われ続けていたという。
「もともとはね、栄養のあるお乳を飲むことで、男たちの精がつくとか、時々吸い出すことで、胸が張るのを防ぐんだとか、そんな目的で始まったとかって聞いていますけどもね、本当のところはどうなんでしょうね」
川島さんの話によると、こうした風習があるせいで、当地の女性たちは母乳の味を評価され、旨い母乳を出し続ける女性の場合は、母乳が出なくなってからも、手厚く扱われていたというが、その由来もどこか怪しげなニオイがするだけに、なんとも気になるところだ。
 ̄□ ̄;) 福島県
>萌えた体験談 <【凄いぞ】
>秘密のケンミンSHOW【福島県】
>外部リンク:moemoe.homeip.net
>ド田舎の旧家の次男坊に嫁いだんですが
>結婚して二年経ったころ姑に呼ばれて
>「ここでは嫁は○○家に嫁いできた
>ものなので、家事以外にも舅と
>長男の相手もなさい」と言わた。
>「は?」と驚いて訊き直すと、要するに
>夜の相手もせよということらしい。
>義姉にも聞いたが、やはり私の知らない
>ところで舅のお相手もさせられていたらしい。
>「○○さん(私)には悪いけど
>私の負担が減るから正直助かる」と
>言われてショック。
>その地方では普通のことらしいけど
>やはり義父・義兄とセックスすのるは
>気持ち的にツラい。
首都圏から電車で2時間ほど行った先にある伊豆半島。
今でこそ“廃ホテル半島”と化しつつある当地でが、
かつてはその玄関口である熱海が「東洋のナポリ」などと呼ばれて脚光を浴び、憧れの新婚旅行地として広く知られていたこともわかるように、
日本人が本物のナポリへ造作なく出かけられるようになるまで、同地域は多くの人々にとっての“身近な楽園”として、大いに賑わったものだった。
しかしそうした“光”の部分があったがゆえに、同時に“影”の部分も生まれたのであった。
「そりゃあ当時はエラい好景気でね。若い人らなんかからすると、バブル時代のあの感じを思い浮かべてもらえれば、それが近いんじゃないかな?というぐらい」
伊豆地方の“全盛期”に当地で過ごした元・宿泊業の土屋茂さん(仮名・84)は、当時の賑わいを振り返りつつ、懐かしそうに語る。
「熱海から伊東、熱川、稲取、下田とね、それこそ繁忙期になると全部のホテルや民宿が毎日満室になるほどでね。
夏の1カ月で1年分稼ぐだなんて言う人も少なくなかった。それこそ毎日がひたすらお祭りのようだったよ」
主に、戦後の焼け野原から高度経済成長期へと時代が移り変わり、さらにバブル景気が訪れるまでのいわゆる「1ドル360円時代」に、父から継いだ家業の旅館を発展させる形で、「一財産も二財産も築けた」という土屋さん。
その好景気ぶりは、当時を知らぬ我々からすると、まさに“終わらないバブル”といった雰囲気のものであるが、そうした好景気による“光”は、同時に“影”の部分を生み出すこととなったという。
「なにせね、慢性的な人手不足なもんだからね、素性の知れない人間でも平気で雇っていたし、昨日までいた人間が急に姿を消すだなんてこともザラでね。
そういう環境だから、犯罪者やヤクザ者崩れなんかも平然と紛れ込んでいたし、借金のカタに売られてきたような娘だって結構いた。
でも、誰も詳しい話を聞くことなんかありゃしない。そういう場所だったし、そういう時代だったんだよ」
土屋さんの話によると、伊豆半島の各地にある観光地では、ホテルや旅館などの“表の観光業”のスタッフばかりではなく、ストリップ小屋やソープランド、
さらには“ちょんの間”的な風俗といった“裏の観光業”働く女性たちなど、様々なジャンルで深刻な人手不足が生じ、それゆえ、
履歴書1つないような素性不明の人々が各地から日々押し寄せ、自然と紛れ込んでいたのだという。
そのため、大都市圏で犯罪を犯して逃走している者や、家庭を放棄して逃げた失踪者、さらには借金のカタに身売りされた者など、
様々な“ワケあり”の人々がこの地で暮らしていたという。
無論、その多くは、当地に昔から住む人々にとっても余所者でしかなかったが、猫の手も借りたいくらいの状況であったがゆえに、
あえてそれを見てみぬふりをすることで、結果として彼らを受け入れるという“暗黙のルール”が存在していたのだという。
続く
「そうだねえ、当時は“あの人は東京で人を殺したらしい”とか、“会社の金を盗んで逃げてきたらしいよ”とかね、そういう話がしょっちゅうあって。
それこそ、いろんな人がいたけども、やっぱり私が気になったのは、女の子たちかな。
見た感じとしちゃ、どう見たって小学校の高学年くらいから、せいぜい、中学校の1、2年くらいの年頃だったけども、そういう子が売春の元締めに囲われていたりね。
またそういう子を目当てにね、東京の大店の御曹司なんかが、週末になると足繁く通ってきたりとかさ。
バブルの頃に、金持ちの好き者が東南アジアに子供の売春ツアーみたいなのやったりっていうのが問題になったけども、あんな感じだったよね」
やがて日本がバブル景気を迎え、世界各地にある“本物の南国”へと簡単に出かけられるようになり、また、90年代に起きた伊東沖の群発地震などの影響により、衰退の一途を辿ることとなったかつての“身近な楽園”伊豆半島。
かつて当地に身を投じた逃亡者も、売春少女たちも、その大半が姿を消したであろう今、寂しげな様子で当地の街道筋に立つシュロの木だけが、時代の移ろいをただただ無言で眺めている。
終わり
俗に、「隣の芝は青く見える」と言われるように、得てして人間というものは、それが実質的に大差のないものであったとしても、他人のものは魅力的に見えてしまうものである。
それが男女の関係ともなれば、昨今しばしば人気となる不倫ドラマさながらの泥沼劇を生んでしまいがちだが、世の中にはそうした危機を回避しつつ、需要と供給を満たしてきたと思しき風習も存在しているのだ。
「まあ、言ってしまえば夫婦交換…いや、交歓っていうヤツかね。そういう風習がこのあたりには昔あったっていう話を聞いたことがあるよ」
今回、我々の取材に対して、自らが伝え聞いたという特異な風習について語ってくれたのは、山陰地方のとある寒村に住む泉勝二さん(仮名・78)。
泉さんの話によると、今を遡ること1世紀ほど前の20世紀初頭まで、当地においては、各家庭の夫婦たちが、お互いのパートナーを交換しあう風習が密かに続けられていたという。
「話としちゃあ、そんな大層なもんでもないんだけれどもね、要は毎月決まった日の晩だけ、各家の男たちが隣近所の家へと出かけていって、朝までその家の女房と寝るっていう風習でさ。
なにせ小さい集落なんでね、もともとは親類ばっかりで血が濃くなり過ぎるのを防ぐだなんていうもっともらしい大義名分があるようなんだけれども、言ってしまえば、他人の女房を味わいたいっていうだけの話なんじゃないかなって(笑)」
泉さんの話によると、毎月、一番最初に訪れる「友引」の日に、この村の男たちは予め決められた順番に従う形で、近隣の家を訪れ、そこで眠る“他人妻”相手に、夜這いをかけるのだという。
各家庭を回る順番は、村に点在する各家庭を見たときに、ほぼ時計周りになるようになっており、今月は隣家、翌月はそのさらに隣の家…といった具合に、現代のスタンプラリーよろしく、ひたすら“夜這い行脚”を繰り返していたのだそうだ。
ただし、その際に男たちは“他人妻”に決して自分の顔を見られてはならず、ひとたびその掟を破ってしまえば、即座に村八分の状態となり、当然のごとく、この風習のサイクルからも除外されてしまうのだという。
「やっぱりね、男の顔が見られちゃうと、女の方も男に対して強い気持ちを持っちゃうかもわからんものだから、こういう風習とは別に、不倫みたいな関係になっちまうことだってありえるでしょう?
そうなりゃいろんないざこざも出てきちゃうし、習慣自体がおかしくなっちゃう。だから厳しくしてたみたいだよ」
いわゆる不倫ではなく、何の後腐れもなく、夫婦交歓を成立させることに主眼が置かれ、誰一人として、俯瞰して見れば、村全体の男女が、お互いに正式なパートナーを持ちながらも、同時に別の相手とセックスフレンドとしての関係が築かれていたということのようだ。
「まあ、私がそういう年頃になった頃には、とうに昔話みたいになっていた風習だから、詳しいことはよくわからないけれども、もし本当にそんなことがあったなら、私ももうちょっと早く生まれていたかったものだよ(笑)」
一生を添い遂げる大切なパートナーがいたとしても、「性」の部分では、別の相手を求めてしまう男と女の飽くなき情念。
やはりそれはいつの時代も、変わらぬ性質なのかもしれない。
「たわけ」という言葉の由来からもわかるように、かつて日本の農村地帯においては、深刻な嫁不足から、あぶれた男性たちが山羊や牛などの四足動物を相手に性処理を行う(獣たわけ)という習慣が当たり前のように行われていたが、
これは以前にも触れたように、我が国においてのみ行われていたわけではなく、
かつて大航海時代に長期の航海に出ていた外洋艦船の多くは、乗組員の「食」と「性」の両方を満たすために、山羊などの家畜を連れて大海原を旅していたことが知られている。
つまり、古今東西、男たちばかりの環境下においては、極めて特殊な性処理が、ごくごく当たり前のものとして行われていたのだ。
東京から特急列車とローカル線を乗り継いでおよそ2時間強、その甲信越地方のとある山間の地域では、かつて相次ぐ自然災害などの影響により深刻な人口減少が発生。
とりわけ、はからずも極端な形で男性ばかりが生き残ってしまったことから、地域で生まれた女児について、実に奇妙な養育がなされていたという。
「わかりやすく言えば、みんなで育てて、みんなで分かち合う。そういう話なんじゃないかな。
昔は農作物だって、貴重なものはそうしてたわけだから、まあ、その頃の人らの感覚じゃ、それが自然なことだったんだと思うよ」
この地域にかつて存在していたという、女児の養育に関する奇妙な習慣についてそう語るのは、米寿を迎えた今も、父祖伝来の田畑を守り続け、「現役」で農業を営み続けている高村伊佐夫さん(仮名)。
高村さんの話によると、その習慣が生まれたのは江戸時代のことで、深刻な嫁不足が起きていた同地域では、“貴重な女児”を村人全員で協力しあいながら養育し、その後、成人した後は、“村の嫁”として男たちが共有していた時期があったという。
「もともと嫁になり得るような女がほとんどいやしないからね、おそらく最初はよそからもらってきたり、
さらってきたりしてはじめたことなんだろうけども、女の赤ん坊からね、育てていくわけよ、みんなで。
そうすると、いつかは大人になるだろう?そしたら、育てた男たち全員の“嫁”になるっていう。
となると、その嫁が今度は子供を生むだろう?女の子だったら、その子もみんなで育てていく。
もともとどの男が父親か?だなんてわかりゃしないからね、それでよかったんだろうね」
今の時代の「誘拐事件」よりも、もっと“ありふれた事”として、人攫いや人買いが横行していた当時、遠く離れた地域から、
この村の男たちによって連れ去られた女児たちは、本来の両親から引き離される形で、男だらけの集落で養育され、やがてはその“共有財産”として“村人全員の嫁”となっていく。
そして、その嫁が生んだ女児もまた、同様の運命が待ち受けていたのだ。
しかし、彼女たち“村人全員の嫁”の生む子が、必ずしも女児であるとは限らない。
「……そうね、男の赤ん坊が生まれた時は、間引いてしまったっていう話だよ。
もっとも、こんな話、私だって死んだ爺さんから聞かされた話だし、その爺さんだって、ひい爺さんから聞いたっていうぐらいの大昔の話だからね、本当かどうかはわかりゃしないけれども」
今年5月時点での発表によると、日本の首都・東京の人口は13716974人。逆に最も少ない鳥取県で567890人と、首都圏を中心とした一極集中化は年々進むばかりだ。
こうした極端な偏重が続き、深刻な嫁不足や後継者不足が常態化すれば、再びこのような奇妙な習慣が生まれないとも限らないだけに、些か気になるところだ。
江戸時代に隆盛を極めた菱垣廻船や樽廻船などからもわかるように、比較的早い時代から、海運業の栄えていたわが国においては、それが欧州のように遠くの島々を目指すものではないとはいえ、思いのほか、多くの人々が“海の男”として人々の暮らしを支えていた。
無論、途中途中で細かい寄港を繰り返すため、諸外国の外洋艦隊などと比較すると、一回あたりの航海はさほど長いものではなかったが、結果としてこうした労働に従事する男たちは、一年の大半を洋上で過ごす者も少なくなかったという。
しかし、それゆえ、どうしても“広義の女手”が不足しがちであった。
「そりゃあ大昔はこのあたりの港もかなりの賑わいだったという話でね。今じゃ見る影もないけどもさ(苦笑)」
かつて多くの船の寄港地として栄えた時期もあったという、日本海沿岸のとある地域に現在も住む元漁師・横山清三さん(仮名・81)は、当地が隆盛を極めた時代を、古い世代の人々から伝え聞いた数少ない生き証人の一人だ。
「古くは海賊みたいな素性の知れない人らがいた時代から、このあたりは港町として栄えていたという話でね。
そのあと、江戸時代くらいから廻船の通り道になって。それはものすごい活気だったっていう話だね。
けども時代が進んで日本も大きい国になって、遠いところまで船が行くようになってからは沈む一方。今じゃご覧の有様だよ(苦笑)」
横山さんがその幼少期に聞いたところによると、当地は倭寇と呼ばれる海賊たちが跋扈していた時代から港町として成立し、その後、江戸期に入ってからは廻船の寄港地として発展したという。
無論、当時の賑わいは今ではその痕跡さえ確認することはできないが、最も栄えたという江戸晩期に差し掛かる頃には、自然発生的に“裏の色町”としての側面も持つようになっていたという。
「幕府の目が厳しいものだから、表立って郭の類をこさえることができなかったみたいでね。
けども、“そういう需要”はあるものだから、ここいらの人らは女衆をかき集めるだけかき集めて、“女貸し”みたいなことをしてたっていう話だよ」
幕府によってその開設・運営が厳しく管理されていた遊廓とは違い、今で言うところのデリヘルのような状態で、“出張遊廓”ともいうべき裏稼業を行っていたという当地の人々。
船に乗り込んだ女たちは船乗り相手に体を売り、稼ぐだけ稼いで、再び村に戻るという生活を繰り返していたという。
「ここで船に乗った女たちはね、海に出るとそれこそ1日中、船乗り相手に“商売”をするの。それで、次の港で降ろしてもらう。
帰りは籠や徒歩になっちまうんだけども、なにせその頃にはしこたま金をたくわえてるもんだから、ホクホク顔で帰ってきたっていう話だよ。
男たち?腕っ節のいいのは帰り道の用心棒みたいに雇われたりっていうこともあったみたいだけど、大抵の男たちは嫁や娘が体を売った金で飲んだくれて暮らしていたそうだよ」
なお、こうした“海の裏風俗”とも言うべき商売に関する伝承は、当地に限ったことではなく、当時、多くの船が行き交っていた沿岸地域においては、全国的に見てもしばしば散見されるが、
横山さんが伝え聞いたところによれば、当地に限って言うと、洋上で妊娠してしまった女性によって“父親不明”の子供たちが数多く生み出され、現在も、その子孫と思しき人々が当地には数多く生活しているという。
やはりいつの時代も、表向きの史料には決して記されることのない、文化・風俗というものが、我々の思うよりもはるかに多く、存在しているものなのかもしれない。
今でこそさほど行われなくなったものの、かつて、日本の家庭においては、その家の女児が初潮を迎えた際に、赤飯を炊いて祝うなど、七五三や成人式などのように、家族総出でその節目を祝う慣習が存在していた。
しかしそうした「祝い」の儀式が、あらぬ形で独自発展したと思しきケースが存在している。
「ええ、私はほかのところでも、それこそ日本全国でそういうことが当たり前に行われているのだと思っていましたよ。
なにせ村を挙げてのお祭りでしたからね、まさかあのあたりだけがそういうことをやっていただなんて考えもしませんでした」
かつて自身が育った近畿地方のとある地域で行われていたという、初潮の祝賀行事についてそう語りはじめたのは、現在、兵庫県某所にある特別養護老人ホームで余生を過ごしている元自営業・横澤誠一郎さん(仮名・80)。
横澤さんの話によると、彼の生まれ育ったその地域においては、女児が初潮を迎えると、まるで村祭りでも行われているかのような、集落全体の祝いの儀式が執り行われていたという。
「まずね、女の子に“月のモノ”がくるようになりますと、その最初の血は、少しでも多く、とっておくようにするんです、杯というか、小皿のようなものにね。
それでその血を、そのまま村の神社へと持っていって、神主さんが祈祷するんです。
その時には村の人らが全員そこに集まって、みんなで神妙な面持ちで一緒に祈る。いつかこの子が無事に元気な赤ん坊を生みますように、って」
そもそも、いくら年頃の少女であったとしても、初潮を迎える正確な日時を測る術などもちろんなく、横澤さんの言うところの、
「(経血を)少しでもとっておく」という行為が実行できるのかどうかですら怪しいものだが、いずれにしかり、多くの村人たちが見守る中、神職によって祈祷が捧げられた「処女の初潮の血」は、
その後、御神酒の入った容器へと注ぎ入れられ、それを参列者に振る舞うという、不可思議な儀式へと続くこととなるそうだ。
「それで、(経血入りの)御神酒をみんなで飲んだ後で、今度はお祭りのような騒ぎとなるのですけどもね、それはもう、飲めや歌えやの大騒ぎで。
1日、2日ズレただけで、ほぼ同時期に、2人とか3人の子がそうなる場合もあるんですけどもね、そういうときなんて、出店が出るようなぐらいのお祝いになったものですよ……
で、最後に、村に古くからある男根のね、形をした御神体のようなものがありまして、それに女の子たちをまたがらせて、山車のように曳いて村中を練り歩く、と。
そういう行事です」
そもそも初潮が祝われるようになった背景を考えれば、こうした「男根またぎ」とも言うべき行為が行われることもさもありなんといったところだが、少なくとも、女児の初潮に際してのみ、こうしたお祭り騒ぎの行事が行われているというのは意外と稀。
横澤さんの話によると、この儀式が自体が姿を消して久しい今、その存在を知る者すら減ってきているというが、願わくば、その詳しい由来などについても、知りたいところである。
思春期となり、性に対する関心が高まってくると、その衝動から、おかしな行動をとってしまう少年少女も少なからず存在している。
しかし、そうした“おかしな行動”が“儀式”として公然と行われてしまうケースも、この広い世の中にはあるようだ。
「そう、言ってしまえば、“成人の通過儀礼”みたいなものなのかな。それともただの欲求の発散だったのか、今にして思うと正直よくわからんよね」
自身が生まれ育ち、集団就職によって上京するまで暮らしていた東北地方のとある山間の地域で行われていたという、少年少女たちによる奇妙な“性の儀式”についてそう語りはじめたのは、
現在、都内某所で暮らす元印刷業・横山和夫さん(仮名・74)。
横山さんの話によると、当地で生まれ育った少年少女たちは、性に目覚める年頃となると、年上の子どもたちに混ざる形で、その儀式に参加するようになっていたという。
「簡単に言えば、年頃の子たちがみんなで集まって“交わる”という儀式だね。上は15、6歳くらいまでなんだけども、だいたい小学校を卒業する頃になると、隣近所にいる先輩から声をかけられて参加するっていう。うん、男も女も。
よっぽど仲間はずれにでもなっていない限り、みんな参加するんだよ」
そう、少年少女たちによる“乱交パーティ”とも言えるこの儀式、常識的に考えれば想像もつかない話だ。
しかしその実、こうした奇妙な“性の儀式”については、ある民俗研究家によると、全国各地で散見されているのが実情であるとのことで、
その多くは、第二次性徴を迎える年頃の少年少女たちの間で秘密裏に行われていたのものなのだという。
しかし、所詮は思春期の子どもによる行為。“加減”ができずに、思わぬ事態を引き起こしてしまうこともしばしばだったという。
「まあ、子どもっていうのは無鉄砲だからね、それこそ一人の女の子相手に、何人もの男の子たちが群がって、かわるがわる交わるなんていうのはザラでさ。
当然、避妊も減ったくれもありゃしないものだから、気づいたら腹ボテになってたなんていうことも珍しくなかったと聞くね」
“性の儀式”によって、はからずも妊娠してしまった少女たちの多くは、以後、この儀式に参加することを許されず、場合によっては行方知れずになってしまうこともあったという。
横山さんは、こうした少女たちが、事情を知った大人たちの手で秘密裏に堕胎させられたり、場合によっては親戚の家にもらわれた上で出産したりといった、何らかの隠蔽工作めいた行為が行われていたのではないかと推測しているが、無論、真相は藪の中だ。
「そもそもあんなことをね、儀式として定着させている時点でおかしな話だと思うんだけども、ああいう閉鎖的な地域っていうのは、誰もそのことに異を唱えたりしやしないし、“そういうもんだ”くらいにしか思っちゃいない。
儀式そのものよりも、そういう感覚の方が、私なんかからするとおっ怖いと思うんだよなぁ……」
とかく、古くからその土地ごとに定着している儀式や風習の類というものは、その内容にかかわらず、「そういうもの」として当たり前のように続けられているものがほとんど。
しかしその中には、今回の“性の儀式”のように、その当事者ですら「おかしい」と感じつつも、惰性的に続けられている代物も、少なからず存在しているのかもしれない。
世の中には親から子、子から孫へと代々受け継がれていく様々な習慣や行事などが存在しているが、そうしたものの中には、他者から見ると、些か奇妙なものも、少なからず含まれているようだ。
「まあ、普通ならばそういうのは、誰から教えられるものでもなしに、それぞれ勝手に身につくもんなんでしょうけどね(苦笑)」
かつて自らが育った中部地方南部のとある地域に存在した、“秘密の伝授”についてそう語りはじめたのは、現在、都内某所で暮らしている元自営業・中田要一さん(仮名・74)。
中田さんの話によると、かつて彼の育った地域では、各家庭の親から子へと、夜の営みに関するレクチャー、即ち、性技に関する講習じみた儀式が代々行われてきたという。
「要は今で言うところの、ある種の性教育のようなものなんだと思いますけどね、まず、子どもがある程度の年齢になってくと、親は“どうやって子どもができるのか?”という部分について、自分でやってみせながら、説明するわけです。
これだけでも結構、よその人たちからすれば驚きでしょうね(苦笑)」
中田さんの話によると、この地域では、子どもたちが思春期を迎える直前となると、親たちが“性教育”の一環として、自らセックスをやってみせ、“子どもができるメカニズム”を教え込むのだという。
その後、実際に子どもたちが本格的に性に目覚める頃には、今度は親や年上の兄姉を練習相手にし、“実技”の講習がスタート。以後、成人を迎えるまで、こうした“講習会”じみた儀式は続けられ、実際に大人になる頃には、男女ともに“免許皆伝”の状態となるのだという。
「そら、地域全体がそういうことやってるわけだから、よそに比べたらみんな上手いんだろうけども、まあ、別に上手くできたからといって、どうこうなるもんでもないでしょうけどね(苦笑)」
たしかに、多くの人々にとって、性に関するテクニックは、誰から教えられるわけでもなく、自然と経験の中で自分なりのものが培われていくもの。
そうした意味で言えば、当地に存在したこの儀式、その成立過程を含め、なんとも謎めいた、実に奇妙なものであると言えそうだ。
いつの時代も権力者というものは、得てして、その力のままに、無力な一般人を虐げるものであるが、そうした被害に遭う人々というのは、その理不尽さをわかっていながらも、それに抗うことすらなく、
権力者の意のままに、多くの辛苦を味わい続けるものである。
「そうですね、当時はあのあたりの人間はみんながみんな貧しい小作農ばかりでしたからね。名主様に楯突く人間なんていやしませんでしたし、そんなこと、思い浮かべることすらありゃしませんでしたよ」
かつて東北地方のとある地域で絶大な権力を誇り、“小農王”とまで呼ばれた名主による専横ぶりについてそう語りはじめたのは、現在、北関東の小さな町に住む元農業・川崎昭次郎さん(仮名・89)。
川崎さんの話によると、彼が生まれたその地域に君臨していたその名主は、文字通り、地域の人々を隷属させ、傍若無人の振る舞いを続けていたという。
「日常生活の締め付けが厳しかったのはどこも一緒でしょうけれども、あの名主さんは本当に酷い仕打ちばかりをする人間でしてね。
どの家の嫁も娘も、それこそ女という女は手当たり次第に手をつけては孕ませていましたよ……」
英雄色を好むとは言うが、その名主、地域の取りまとめ役としては、ある意味、“優秀”な辣腕家ではあったものの、
同時に、酒と女に目がなく、複数の愛妾を囲っていたのはもちろんのこと、それだけでは飽き足らず、小作人たちの中にいる女衆をかき集めては、強引に関係を持ち続けていたという。
そのため、当地においては彼の子種を元に出産する女性が後を絶たず、まさに彼にとってはハーレムで、
同時に小作人たちにとっては生き地獄のような悲惨な暮らしぶりが常態化していたというのだ。
「なにせどの家でも名主様に金を借りたりしていましたからね。
というか、そういう方向になるように持っていかれているわけですから、当たり前なんでしょうけども、そういう借財がどんどん膨らんでいって、やがてはどの家も、身一つしかない状態になってしまう。
そうなれば、嫁だろうと娘だろうと、言われるがままに差し出すしかない。かといって、そうした暮らしから逃れようとすれば、当然、夜逃げしかないですし、そうなると親類縁者や近隣のみんなに迷惑がかかるからそれもできない。
となれば、従うより他ないんです」
川崎さんの話によると、こうした名主による小作人への搾取は、彼が死ぬまで続き、その間、彼によって無理やり犯され、子供を生むことになった女性は数え切れないほどの人数に上るという。
こうした話は、なにも我が国に限ったことではなく、類話は世界各地にリアルタイムで存在しているが、やはり富や権力というものは、いつの時代も、その所有者如何で、数多の悲劇を生むものなのかもしれない。
<うるせーぞ!変態障害者!
<帰れ!クズ野郎!!
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